教えのやさしい解説

大白法 631号
 
内外相対(ないげそうたい)
「内外相対」は、五重(ごじゅう)相対中(ちゅう)の一番目の相対判(はん)で、内道(ないどう)の仏教と、それ以外の一切の教えとを比較(ひかく)相対して、仏の教えが深く勝れ、外道(げどう)の教えが浅く劣っていると判釈(はんじゃく)することを言います。
 仏教は森羅(しんら)万象(ばんしょう)のすべてを因縁果報(かほう)の法則に則(のっと)って存在する、と正しい真理を説くのに対し、外道は宿命(しゅくめい)論・神意(しんい)論・偶然(ぐうぜん)論などの低級な思想を説くので劣っている、と判ずるのです。
 日蓮大聖人は『開目抄』に中国の儒教(じゅきょう)・道教(どうきょう)及びインドのバラモン教を外道として取り上げて破折されています。
 儒教は仁(じん)・義・礼・智・信の五常を旨(むね)として孝養を説き、国家の繁栄と理想的な人格の形成を目的とし、道教は老荘(ろうそう)思想・儒教・仏教、さらには民間信仰までも取り入れた現世(げんぜ)利益(りやく)を目的とした宗教です。そして、バラモン教は主(しゅ)として二天(にてん)三仙(さんせん)と呼ばれる神仙を崇(あが)め、@自性計(じしょうけい)(因中有果)、A他性(たしょう)計(因中無果)、B共性(きょうしょう)計(因中亦(やく)有果亦無果)、C無因性(むいんしょう)計(自然(じねん)外道)などの因果論などを説いています。これを説く者に六師(ろくし)外道があり、その支流(しりゅう)はさらに九十五派にまで分派しました。
 このような儒教・道教に対して大聖人は、
 「過去・未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世(ごぜ)をもたすけず、不知恩の者なり。まことの賢聖(けんしょう)にあらず」(御書五二四)
と仰せのように、それらの外道は現在一世の因果を説くも、三世の因果を説かない故に父母等を救えない不幸の者たちであると破折されました。
 さらに、婆羅門教(ばらもんきょう)に対しては、
 「一人も生死(しょうじ)をはなれず、善師につかへては二生三生等に悪道に堕(お)ち、悪師につかへては順次生(じゅんじしょう)に悪道に堕つ」(同 五二五)
というように、外道の教えでは悪道に堕ちる結果となり、永遠に苦悩するのである、と破折されました。
 このように、大聖人は仏教と外道とを対比(たいひ)して、外道を捨てて仏教(寿量文底下種の妙法)を信ずべきことを説かれたのです。
 この他(ほか)、第二十六世日寛(にちかん)上人が『開目抄愚記(ぐき)』に、
 「一には仏法外(がい)の外道、二には附(ふ)仏法の外道、三には学(がく)仏法の外道(趣意)」
と御教示のように、外道には三種あります。
 一に「仏法外の外道」とは、先の儒教・道教・バラモン教の他、絶対神を立てるキリスト教やイスラム教、また神道(しんとう)及び諸(もろもろ)の新興(しんこう)宗教に至る無数の宗教がここに含(ふく)まれます。
 二に「附仏法の外道」とは、今日(こんにち)でいう立正佼成(こうせい)会・霊友(れいゆう)会・阿含(あごん)宗・真如苑(しんにょえん)・オウム真理教等の仏教利用(りよう)の新興宗教をさします。
 三に「学仏法の外道」とは、邪見(じゃけん)に堕(お)ちた諸の仏教各派及び創価学会等がこれに相当(そうとう)します。
 大聖人の下種仏法以外のすべての宗教は外道です。私たちは、どこまでも大聖人の血脈に信順し奉り、いよいよ邪宗邪義を破折してまいりましょう。